
By: Mark Morgan
承認欲求こじらせていますか?
ニッポンのジレンマという番組の「承認欲求について」の回。堀江貴文と小池龍之介の対談をまとめました。仲介人は日本思想史研究家の先崎彰容。
承認欲求というのは、要は「周りから認められたいという欲」ですね。仕事だけじゃなくて、遊びとか普段の暮らしの中でも仲間内から評価されたい。そう思ってみんなSNSとか一生懸命やっています。
現代社会は、承認欲求を巡ってなんかややこしい、みんな生きづらいことになってるんじゃないの?という話です。
この対談が決まるきっかけになったのが、元旦に2016年の元日に放送されたニッポンのジレンマで起きた堀江さんと小池さんの「評価経済」についての議論から、今回(2月27日)の「承認欲求」の対談へ。
堀江さんは、車のシェアサービス「Uber」を例にとってこれからは評価経済になると言います。
金払っていればいいだろう、というやつはこれから生きづらくなると思いますよ。
それに対し、小池さんは、
と答えます。
堀江さんは「これから評価経済の時代が来る」と言い、小池さんは「それは地獄だ」と言う。
2人は相容れないように見えますが、対談が進んでいくと実は根本で考えていることはけっこう同じであることがわかります。
村社会、お金、人工知能、教育など、様々な方向に話が展開していきます。完全な書き起こしではありませんが、だいたい意味は合っているはず^^;
今、「生きづらい」と感じている人は何かヒントが見つかるかも知れません。
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村社会の復活
堀江:Airbnbっていう部屋をシェアするサービスがあります。知り合いがよく海外に行くんですけど、その人は必ず梅酒を持って行くんです。梅酒って外人がすごい喜ぶんですよ。で、点が5つくから、部屋が取りやすくなる。
まあ、偽善者ですよね。小池さんが言うところの偽善者をやっているんですよ。
ー梅酒を持って行ったりって、昔の村社会と似ていますね?隣の家に醤油を貸すとか、そういうところに戻っているのかなと思いますね。
堀江:そう、村社会が世界規模で起きている。
ー小池さんはどうですか?
小池:昔、村社会にいた人達は、他人の目を常に気にして、評価を気になければけないけませんでした。
でも、「こんな狭い生き方はいやだ!」と言って、みんな東京CITYとか大阪に行き、ある種の拘束されていた、他人の目を気にしなければならないところから、自由になりました。
そうやってある一時期の幸せとして甘受されていたはずなんです。
他方では、「つながりの喪失」「さびしさ」といったキーワードで理解するようになった人が再び他人の目を気にしたり、つながることを喜んでいるのは、昔に逆戻りしているということにはなりませんかね?
ー堀江さんはどうですか。村社会とか嫌いそうですけど
堀江:僕は村社会の中で生きていけと言われたら全然生きていけますよ。村社会が嫌なわけでもなんでもない。
ただ、そこでも本音で生きるよ、っていうだけ。
小池:私の堀江さんの理解としては、偽善者になりたくないのだということがあるんですが。
堀江:結論として先言うと、他人の目を気にせずに正直に生きていれば、それでいいんです。
なんでみんな他人の評価をそんなに気にするのか。僕もそういう時期があったから気持ちはわかるんですけど。
どんなことを言っても批判してくる人はいるし、絶対アンチって生まれるんですよ。ベッキーさんもすごい炎上しましたけど、すごい優等生キャラで昨日までクラスの人気者だったのに急にどん底に落ちるとかあるじゃないですか。
評価を気にしてどんどんいい人イメージを積み上げていくと、そこに変な不満が溜まっていくんじゃないですか。
結論として何をやっても、何をやっても最後はそんなに結果は変わらないと思いますけど。
小池:じゃあ梅酒持って行かなくてもいいんじゃない?
堀江:そう、僕は持って行きませんよw
褒められて嬉しい。他人の評価
ー先崎さんどうですか
先崎:イチローの打ち方は普通じゃない。変なんです。
普通は、選手に対して何十人もコーチがああしろこうしろと言う。でもそれを全部真面目に聞いた人程逆に打てなくなります。
でも、イチローは「俺は絶対こういう打ち方をする」っていう強いものがあったからあれだけの選手になりました。だから堀江さんのように、自分の中に強いものがある人はいいんですよ。
一方で、海外ではネットの評価によって追い込まれて自殺した人もいる。他人の悪い評価で自分を奪い取られるような感覚の人もいるし、それを乗り越える人もいる。
それをどう評価すればいいのかなって。
ー堀江さんはそういうものを持っている。でも持っていない人は評価を気にする。
堀江:気にし過ぎじゃない?
ー心が折れちゃう人もいる。
堀江:どうやって解決するかがポイントじゃない?
ー今は一般人もSNSで評価される時代ですが。
堀江:TwitterとかFacebookは、好きなようにフォローしたりブロック出来ます。結果、今はたこつぼ化していて。自分の興味関心のある情報しか受け取らない状態になっています。
でも僕はあえてノイズを入れるようにしていて、主張が相容れない人もフォローしています。こいつら馬鹿だなって意見も知らないと。
ーそれって心が強くないと出来ませんよね。
堀江:僕は当時からネットでは知られている存在だったのんですけど、2ちゃんねるの前身みたいな、あめぞうBBSでは、昔めちゃくちゃディスられてたんですよ。批判がすごくて心折れそうになった。でも、私はそういうメソッドです。
小池:「褒められて喜ぶこと」と「けなされたりディスられれて嘆くこと」は完全に表裏一体です。
一度評価されると、次も評価されないと悲しんだり、嘆くことになります。前回と同じように褒められたりしようとしてしまいますから。
ですから、タフになりたければ、承認されたり、褒められたりすることを喜ばないというのが前段として必要だと思います。
承認されたとき、それはいったい誰に承認されているんだという問題があります。いろんな要素のうち、いいなと思われる要素だけを提示している。それは諸行無常なんです。
例えばみんなに祝ってもらった誕生日写真を載せて褒められた。みんなから祝ってもらった誕生日というのは、今日のことです。誕生日の、その日はいいですけど、明日、明後日はありません。永続しない、今しかないものを評価されても、それは自分の一部が認められたに過ぎません。
明るい冗談を言って周囲を喜ばせても、その自分はいつも明るい訳ではありません。ほんの一部を評価されても、その一部はすぐに変化してしまうので、流れていってしまいます。
つまり、こうした評価というのは、自分が評価されたとは言い難いのです。ですから、本質的に評価するということは出来ないんです。
ー誰からも褒められないは辛くないですか?
小池:自分に本質などありません。ですから、自分が何か言ったこと、ないはずの本質を錯覚してしまう。
もともとはそんなキャラじゃなかったはずなのに、そこに苦しみを感じてしまう。
自分のファッションセンスを褒められたとすると、自分の本質はファッションセンスにあるんじゃなかとか、ないはずの本質を錯覚してしまう。
そうやって、「本当は自分なんてない」という真理からはかけ離れていきます。
堀江:秋葉原の殺人事件の犯人もそうですよね。
子供の頃、勉強も中途半端で親から色々言われてたんだけど、ネットの掲示板に自分の居場所を見つけた。でもそこでディスられてしまって。
承認欲求とか求めずに日々楽しく生きればいいんじゃないのかな。
小池:褒められて嬉しいというのは気のせいなんです。
堀江:褒められたら嬉しいけど、褒められたらむず痒いですよ。
ーええ!?そこは素直に嬉しいって言いましょうよ。
堀江:僕は子供の頃テストはいつも100点だったんです。むしろ100点を取れないと怒られるっていう。中学生になってパソコンにハマったら成績が落ちて散々怒られました。
恋愛の承認欲求
ー堀江さんって恋愛大変そうですよね。だって「今日のご飯美味しかった」って言われても嬉しくないんですよね?
堀江:うん、確かに承認欲求みたいなところにはいきませんね。
小池:恋愛は、承認し合ってお互いの自我を刺激するのではなく、単におもしろいことを共有するとか、素敵なアイディアをどんどん生み出していく場に一緒に居る、というのが良いのではないでしょうか。
ー小池さんの話で言うと、誕生日のようなパーティーは続かないからダメだということですから、毎日パーティーやればいいんじゃないですか?あるいは、褒められても喜ばないという方向に振り切るか、どっちかしかないんじゃないですか。堀江さんなんかは毎日パーティーをしているイメージですけど。
堀江:僕はそうです。毎日楽しいことがないと嫌です。
ジャイアンは自分が嫌なやつだと気づいていない。
先崎:堀江さんがSNSがたこつぼ化していると言いました。
仲間で毎日楽しく、あるいは他人を究極まで排除する。2人は自分ひとりの中で幸福感を持てている点が共通していると感じます。
ただ、一般人の社会って、嫌なやつ、俺のことをわかっていないな、っていうやつとも一緒にいなければいけません。
心が一喜一憂すると同時に、赤の他人とどう距離感をとって付き合っていくかというのが重要です。ウソをついて上司にペコペコしたりして、日々を紡いでいる人もいる訳ですから。
人間関係における承認は不必要で幸福感のみを追求するという視点では、社会を見る視点を失うような気がします。
堀江:僕は、逃げてもいいし、本音を言ってもいいと思います。
僕は長い間上司的な立場にいたからわかるんですけど、上司って「お前嫌な上司だよ」ってい言われると、本人はすごく嫌ですよ。すごく悩むと思います。
ジャイアンは自分が嫌なやつだと気づいていないんです。彼は小心者ですよ。だから面と向かってお前嫌なやつだって言われたら傷つくはずです。
嫌だったら逃げればいいんです。マイホームのローンがあるとか、家庭があるからとか言いますけど、それは本人が気づいていないだけで、言い訳を言いたいんです。本当は逃げたくないと思っているんですよ。
先崎:僕は違う意見です。人間ってもっと単純で弱いものだと思います。
人間は、自分を相対化出来ないんです。ただ単にローンを払えないとか、家庭があるから逃げられないというだけではないはず。
会社でノイローゼになる人が決まって考えることは「僕が辞めたらあそこの仕事は次誰がやるんだろう」ですよね。
人間は多様な選択を出来ているようで、出来ていなんだと思います。
堀江:その通り。それはプライド、自意識が高いんでしょう。
自分は能力があると思っている。俺がいないと会社は回らないよって思ってるんですよ。
小池:それはまさに承認欲求です。誰かに承認されたいのではなく、自分で自分を承認出来るか。
自分がいなかったらどうしよう。本当は自分はすごいんだぞ、と言いたいんです。
他人から承認されたいのはなぜかというと、「これだけ周りに承認されているんだから、自分を承認していいよね?」って自分に語りかけているだけなんです
他人からの評価を調達するのはなぜかというと、つまるところ、自分で自分を承認するためです。みんな黒魔術のように毎日自分で自分に語りかけているんです。
ー小池さんは小さいころからそういう考えだったんですか?
小池:高校生の頃はすごく勉強しました。それは親の笑顔が見られるとか、級友がちょっとうらやましそうにしてくれるとか、っていう理由があって。あれはとてもしんどいです。しんどい、苦しいと見せかけて、実は快楽です。
「今回は良い成績を取れた」といっても快楽はすぐ消えますから、じゃあ次も、また次もといかなければいけません。
面白い人間としてキャラを作っていたりもしました。天然なふりをしたり、面白いことを言ってみんなを笑わせると承認されるから、どんどん洗脳されていくんですね。
そこでふと、これは本当に自分のやりたいことじゃなかったのにな、気づく。地獄ですよ。
ーしゃべり方は昔から変わらないんですか?(小池さんはすごくゆっくりしゃべる)
小池:昔は大阪弁でしたから、もっと早口でしたよ。哲学を専攻していて、人の思考のあらをついてコテンパンに論破してたりしてたので、周囲とのコミュニケーションがうまくいきませんでした。
それが修行を始めて2、3年くらいで声のトーンもスピードも、自然に変わっていきましたね。
お金がなくても幸せになれる?
小池:当然なれるでしょうね。
地位が高くなったり低くなったり、収入や友達が増えたり減ったり、そうしたことの上下があっても、本質的に幸福度は変わりません。
身体性の軸が揺れなければ、幸せに生きていけるということを私は知っています。
地位が上がる、収入が増える、友人の数が増えたりするとドーパミンが出ます。ドーパミンというのは快楽物質ですね。ドーパミンこそ諸行無常の典型です。そんな快楽が一生続くなら仏教なんて必要ないんです。でもそんなことはありませんね。
ドーパミンは脳内麻薬と言っても過言ではありません。麻薬はなくなったら寂しさ、欠落感を持ってきます。なくなったら、その分を充填するたために、もっともっと欲しくなります。もっと稼ぐ、もっと頑張る、もっと友達を増やす。
地位が高いとか、収入が多いとか、友達が多いとか、それを幸福の定義とするならば、ジャンキーになるのが幸福だということになってしまいます。
堀江:お金がなくても幸せになれるか、っていうのは聞き飽きた質問ですね。どうだっていいじゃんそんなの。
幸せは単純ですよ。腹減ってるときにご飯食べたら美味しいし、幸せじゃないですか。食欲性欲睡眠欲みたいな本能、三大欲は、毎日リセットされるから僕は毎日幸せです。
ー小池さんは堀江さんの幸せはどう思いますか。
小池:欲をリセット出来る人はまあまあ幸せです。
食べても満足感を得られなくなる人もいます。ドーパミンが飽和してしまうんですね。飽和すると過食症になります。
性欲がリセットされない人は、SMとかもっとどんどん刺激を求める方向に走っていわゆる恋愛ジャンキーになってしまう。
堀江:ぼくは恋愛がそうかもしれないです。
小池:お金もそうですね。「みんなが最高に欲しがっているお金を持っている僕ってすごい」という承認欲求です。
堀江:みんな、お金をありがたがり過ぎています。お金って価値を媒介するためのツールで、人間が発明した物のなかですごく優秀な概念なんですけど、みんな道具フェチになっている。
今は相互にお金を信用しているから流通していますけど。砂上の楼閣みたいなもので、みんながお金なんていらないじゃないのって言い始めたら価値がなくなることもあるんです。
でも、偶像崇拝じゃないけどみんな信用し過ぎています。
小池:本来、お金は何に使うかということが大切なのですが、お金をたくさん持っていることで「自分は自己承認出来るすごい人物なんだ」というイメージと結びついてしまうのが問題です。
先崎:2人が同じに見えるのは、承認欲求の世界から降りることができているからです。お金を気にしないで済む境地です。
でも、普通の人はいろんなことに翻弄されていますし、苦しんでいますから、それをどうやって解決していくかが大切です。そのためにには、なんとか言葉で自覚することで落ち着くかもしれません。
私は2つ問題点、面白いことを感じました。
ひとつは身体の欲求に健やかに答える堀江さんの姿は、「動物化するポストモダン」という本の内容につながるように思えます。日本のようなスノッブ(他者の消費が増えるほど需要が減少する現象)した社会では、欲というようなものにしか人間性を保証するものはないのかもしれません。
もうひとつは、貨幣経済に踊らされているという話がありましたが、それは社会の中で欲求や承認に駆られてしまうことの、一つの象徴にすぎないと思いません。自己責任として良いとか悪いとかと言うよりも、社会構造のあり方というか、もっと大雑把に言えば資本主義の作り方やあり方をひとりひとりが病的に嫌な感じで具体化してしまっていると感じます。
小池:欠落感が常に暴走してしまっていて、全く埋まることがないということですよね。
社会的なシステムで言えば、インターネットの技術によって実現しているんではないでしょうか。
私の対人コミュニケーションで言えば、人とのやりとりは手紙を書いて、冗談めかして和歌を刺し込んだりしてやっています。すごくスローです。
2日かかって届いて、相手は書くのに数日かかって、1週間ぐらいかかって返事してきます。
ー1週間もかけて何を伝えるんですか?
小池:「10日後の新宿の伊勢丹で会いましょう。」みたいな。
ーメールの方が便利じゃないですか?
小池:便利でしょうけど、メールがないので・・・
先崎:本来手紙って、明治時代に生まれた郵便制度のおかげで早く情報が伝わるようになったんですけど、今で言うTwitterとかと同じような感覚だったのかもしれません。
ところが現代では、ただ単にTwitterで「好きだ」と伝えるより、手紙で熱く書いた方が人の心が動くかもって思ってしまうようなところがあります。
社会の流れに対して、速度を落とすこと自体に、何か重要な意味がある。あるいは、ちょっとでもこの流れを相対化する方法を持っている。そこに価値を見出そうとしている。そういうことなんじゃないでしょうか。
堀江:手紙に価値があるみたいな話って時間をめちゃくちゃ使うからじゃないですか。時間だけはみんな共通でしょ?お金を持っていようが、持ってなかろうがが与えられた1日24時間しかない訳で。
じゃあ私はお金に対して経験がありません。年収1000万なんて到底無理って思っている人は幸せになれないかと言ったらそんなことはありません。
時間をいっぱい盛っていますよね。時間持ちですよ。
インターネットのおかげで時間を使えばお金がなくても色々出来るんです。
時間を変換出来るようになっているんです。お金にも変換できるし、なんでもできる。だからお金関係なしに時間があれば何でも出来る。
瞬間的な快楽
小池:先ほど手紙の話しをしましたが、メールやSNSは瞬速のやりとりが出来て、自分が相手にどう思われているかということが瞬時に来てしまいます。
それが繰り返し繰り返し、脳の快楽を感じる場所を刺激し続けて麻痺させておかしくさせてしまいます。
(SNSを見ることが)中毒化して本当はやりたいことがあるのはずなのに、ついネットばかり見てしまう。
飛行機に乗っていても、「電波を発信する機械を使ってもいいですよ」というアナウンスが流れると、みんなパッとスマホを取り出してしまいます。その速度たるやすごいものです。もはや、機械がご主人様みたいになってしまっています。
人工知能が発達したら?
ー人工知能が発達して、機械が人間の仕事を取って代わる事例が多くなっています。ここまで来ると、「人間ってどこまでが人間なんだろう」という時代が来るかもしれませんが
堀江:仕事の話で言うと、100年前の人からしてみたら僕らが今やっているこれ(対談)は仕事じゃないですよ。
ただ好きなことを言ってだべっているだけですよ。
つまんない仕事なんてやらなくていいんです。楽しいことだけやってりゃいいんです。
そういうことは今でも出来るですよ?出来るんだけど、なんでみんな出来ないかっていうとやっぱり教育の問題になるんです。
道徳なんかで「はたらくことは素晴らしいことです。汗水垂らしてはたらくことは尊いことです。」という価値観の教育ずっとなされてきているわけじゃないですか。
でも、今の教育制度が出来たのは明治5年です。明治5年は、汗水垂らしてはたらかないと死んでた、社会が成り立たないからそうしてただけなんです。
今は人工の3%ですよ、専業農家は。それがコンバイン、田植機、農薬を撒くのだってドローンを使っています。完全自動化されていって、「僕達が生きていくためのものは全部ロボットが作ってくれてますよね」っていう話になってくる。
それはもう教育された価値観と全然合っていないから、そこを埋めていく作業が必要になってきます。
そこを上手く移行できないと摩擦が起きて、「ああ、俺仕事なくなっちゃった、鬱だ、死のう。」みたいな感じになっちゃう。
だからそうならないように、僕は色々な活動しています。その点でエンターテイメントの分野ってすごい重要です。
バンドマンが結婚するから真面目になって普通の会社に就職しよう、っていう話が昔はよくありました。今もあるのかもしれませんが。
それを、「好きな音楽で食える場所を作りましょうよ。」という方向に持って行きます。バンド演奏を伴奏に歌えるカラオケってありますよね。あれが全世界に広がったら、バンドマンは好きな音楽で生きていけるようになりますよ。
好きなことをして生きていける人が増えてくるんです。ロボットに仕事を取って代わられるということはむしろ、より楽しくなる、もっと素晴らしい世界になるんじゃないですか。僕はめちゃくちゃ楽観的ですよ。
先崎:それ自体は否定するつもりはありませんが、「何もかも幸福な状態になる」とぶち上げられるとちょっと僕の中にノイズが入ってきます。
昔やっていたものが一回機械に取って代わられ、それをハイブリット化するって、その考え自体は戦前の前衛芸術にあったものにすごく近いです。
堀江さんがやっていることは新しい何かを提出しているのでとても良いことだと思うんだけれど、「それによって何もかもが」というのには懐疑的です。
今のところ、それしか答えられません。
小池:好きなことやらなければいけないという新たな洗脳はとても危険です。
堀江:「やらなければいけない」とは言ってませんw
小池:承認の問題と深く関わっていて、今の世の中で幸福度が上がらずにもがいている人が多い理由のひとつが、「好きなことをやって自己実現しなければ承認されない社会だから」です。
昔はそんなに好きなことをしていなくても、結婚して子どもを育てていれば、それなりに社会は承認してくれて、自分も自分を承認することができました。
現代の最強の承認ツールというのが、「活き活きと他の人とは違った好きなことをして自己実現をしている」というものです。
しかし、それがアダとなって「クリエイティブに楽しんでいなければならない」という強迫観念のようなものによって苦労されている人が多いんです。
昔は単純なことをしていてもそれなりに社会が承認してくれていたのですが、今は「そんなのレールに乗っているだけだろ」と言われて承認してくれなくなってしまっています。
堀江さんのように楽しめている人の発言を聞いた人達が、「自分も堀江さんみたいに自己実現をして頑張れるようにならなきゃいけない!」と洗脳されてしまうでしょう?
でもそんなことが出来るのは10,000人に1人しかいない。残りの9,999人はそれによって自己承認感が下がってしまう。
「どうすれば自分は幸せになれるんだろう…。でも、なれない……」という苦しみが待っています。
堀江:それはそうでもないと思うんですよ。
承認欲求が満たされないのは他人と比べちゃうからですよね?
僕はそこに対しては多様性というところで担保できるんじゃないかなと思っています。
バンドカラオケの話ではありませんが、少なくとも売れないミュージシャンはそこである程度救済されますよね。
小池:それでは楽しいことを出来る人だけが職を選べるようになって、楽しくないものには価値がない、という方向に近づいていってしまうと思います。
誰でもアイドルになれる時代
堀江:アイドルだって多様化が進んでいます。地方の地元アイドルとかいるじゃないですか。
今は更に進んでいて、ショールームというネットでライブが出来るシステムがあるんですけど。
ショールームは投げ銭が出来るんです。50歳のちずるめっちゃすごいんですよ。月100万くらい稼いでます。結婚して旦那もいるけど。元々アイドルになりたかったんだけど、なれなくてこれからアイドルを目指すっていう。
あれは昔の感覚で言ったらアイドルじゃないですよ。意外となんでもあり。ショールームを見ていると誰でもアイドルになれるんじゃないの?って思いましたよ。
承認欲求に負けない教育
小池:誰でもアイドルにならなきゃいけない雰囲気の社会っていうのはすごく苦しいんですよ。上手く参戦できない人がたくさん出てきてしまうので。
今おっしゃっていた流れだと、更に加速度的に承認されるための条件が細かく複雑化してきて、それらを満たすのはあまりにも難しくなります。
堀江:だから、周りを気にしないようにするしかないんじゃないですか。
小池:それをするためにはなかなかの訓練が必要です。
堀江:でもそれを教育のプログラムの中でやっていくしかないと思いますよ。
小池:これに負けないようにタフになる教育とか、社会的援助、あるいは我々のようなメッセージを発する人が必要です。
堀江:僕は手当たり次第にやっていくしかない、出来る限りやろうと思っています。
宗教と洗脳
ー堀江さんの活動って宗教家的みたいですよね。堀江さんが良いと思う価値観を伝えたり、実践したり。
堀江:本当は僕は教祖になった方が楽です。洗脳したほうが簡単。でもそれはしたくないので。宗教っぽくやりたくないんですよ。
宗教っぽくやると、聞いている側は僕の言っていることをいい意味で誤解するから。
小池:今、「洗脳したくない」とおっしゃいましたが、実は「洗脳したくない」と言われてしまうと、聞いている側は、「この人の言う通りにしても自分は洗脳されてないから大丈夫」と思って洗脳されてしまうんです。
ですから、宗教じゃない人の最大の手口は「わたくし、宗教じゃありませんから」と言って近づいていくやり方なんです。
宗教が生まれる理由は、宗教を生んでしまう人の心の弱さだったり、自分を誤魔化したくなる、偽善をしたくなるときの心の弱さだったりします。その瞬間に自分で気づくことが出来れば、堀江さん洗脳されることも、私に洗脳されることも解毒出来ます。
弱さを自覚すれば洗脳を解毒出来るのです。
このように何かに洗脳されずに生きていく道を教えてくれたのが仏陀です。私が一番尊敬している仏陀は、あらゆる宗教、洗脳を開放する方法を教えてくれたんですよ。と、お返ししておきましょう(笑)
本音で仕事をすればするほど、だんだん本音で仕事が出来なくなっていく
閲覧者からの質問(建築関係のフリーランス):
いつも本音で仕事をしようとしているのですが、仕事が少なくなってくると、だんだん本音で仕事が出来なくなってきます。堀江さんは本音と建前をどうやって調節しているのでしょうか?
堀江:常にフルスロットルですよ。僕は(笑)
周りの人から見たらすごく苦しそうに見えていると思いますよ。
裁判をやっているときも、形だけでも頭を下げればいいんじゃない?って言われましたよ。
「こんな仕事はやりたくない」というのは絶対やらないと決めるしかない。
収入が減ってもやるしかありません。それは「まあいっか、金持ちじゃなくて時間もちになったぜ、へへへ」って言っていればいいんです。
僕は1年8ヶ月社会にいませんでしたけど、「時間が出来た。本がたくさん読める」と思いましたし、飛行機の操縦がしたくてパイロットになるための勉強もしました。
一見不幸に見えてもなにかいいことがあるはずです。
ー頭では理解できても、いざやるとなると難しいと思うのですが
堀江:何か一歩踏み出す。ことですよ
例えば、朝ごはんにいつもご飯やパンを食べている人は、明日はラーメンや焼き肉食べてみようって練習していく。
人間ってアホだから、慣れるんです。毎日違うことをするようにしていると、それが当たり前になっていきます。
承認社会を生き抜くために。どう向き合っていくべきか
ーそれでは最後に、承認社会を生き抜くためにどう向き合っていくべきか、それぞれお願いします。
小池:私の本質っていうのは何ですか?
髪の毛ですか?顔ですか?思想ですか?
でも思想なんて、今強く思っていても、議論しているときは覚えていても、遊んでいる最中は忘れるでしょう?
だったらそれは本質ではありませんね。
思想も本質ではないし、ファッションセンスも本質ではないし、友達の数も本質ではない。
何も本質がないというのが本質なのです。
具体的なものが言わば星としていっぱい瞬いているのです。
「あの人きらい」「自分ってすごい」「褒められた」「貶された」「あの人と喧嘩になった」「仲直りした」「いろんなもの得た」「失った」とか。
それらは瞬いて生じては消えていきます。
でもその背景に、瞬きもせず、何も生じもせず、生じないから滅さない、ただの背景があります。宇宙空間という。
まあ、それは変な喩えなんですけど、その部分は何も生じていないので批判することも出来ませんし、反対に褒めることも出来ないのですが。
この色々生じては滅していく物の背景を成している心そのものにフッと心を戻す。空白のところに心を戻すことが出来れば、そこに深~い心の安心感があります。
他者の承認に頼る必要もなく、ただ自分がここに生きているというだけで、そこにただ満足感があって、もう問題は終わってしまうのです。
この自分の中の空白地帯が絶対に壊れない最強の拠り所です。
それを私の寺のジョジョが好きな若い修行僧は、
「なるほどダイヤモンドは傷つかないということですね!」
とジョジョのセリフを用いて説明してくれました。
堀江:僕は拠り所って考えなくて、川の流れのように流れに逆らわずに流されていけば良いんじゃないかなって思いました。
川が流れていると、みんな頑張って上流に行かなきゃって思っているんだけど、川は流れていくとだんだん大きくなって最終的に海に着きます。
無駄な労力を使う必要もないし、あくせくする必要もないですよ。
なんか割りとみんな流れに逆らおうとする。そうしないことなんじゃないかなって思いました。
「家を買わなきゃ」「車持たなきゃ」「家族作らなきゃ」とか全部承認欲求じゃないですか。そういうの維持するのめちゃくちゃ大変なんで。維持しようとするから無駄な労力が必要になる。
僕はそういうの全部捨てました。家すらない。ホテルとか人の家で住んでいます。荷物もスーツケース3,4個しかない。服が一番多いんですけど、服もこんな感じ(小池さんの袈裟)だったらいらないです。
小池:私と同じ暮らしが出来そうですね(笑)。意外と近い。
堀江:なくしていくと、すごいミニマムな暮らしが出来ます。ミニマムな暮らしは強いですよ。
先崎:今日は僕が圧倒的俗物だということがわかりました(笑)
ひとつ思ったのは、今の社会ってニヒリズムだということなんだということ。
否定的なニヒリズムと能動的なニヒリズムというのがあるんですけど、小池さんのニヒリズムは能動的ニヒリズムです。
能動的ニヒリズムというのは、積極的にあらゆる価値に疑問を持って捨てていくことです。そしてダイヤモンドという傷つかない本質を見抜く。
対して否定的なニヒリズムになると、相手であるとか自分自身を攻撃することで、どんどん自分の中にある価値を「あれもおもしろくない、これもおもしろくない、何にもおもしろくない、世の中何も楽しくない」と否定的になって顔がゆがみっぱなしみたいな状態になります。
そこのところを小池さんは何がしかの形で能動的にものに作り変えていったんだなというのが僕の解釈です。
今の社会っていうのは承認という問題をひとつとってもニヒリズムというのは大きな課題なのかなと思いました。
~おわり~