何かを始めるときは必ず勉強しなければいけないんですが、情報収集ってどこまでやればいいんだろう?と思います。
いつ行動に移せばいいの?
行動しながら情報収集するにしても、どれくらいで止めればいいの?
やめるための目印は?
という問題です。
また言ってる現象
情報収集する上で、書籍やインターネット、もっぱらツイッターやFacebook、ブログなんかは便利なんですが、いつまでもインプットしているわけにはいきません。どこかで見切りをつけないと、いくら時間があっても足りません。
私の中でのマイ基準は、
その道の先駆者たちの情報発信を受け取っているときに、
「こいつ、また同じこと言ってんな…」
と思い始めたら、自分はある程度その分野には精通したとみなしていいことにしています。
本で勉強するときに、その分野に関するものを10冊ぐらい同時に読む作戦と同じ発想です。
大事なことはどの本にも同じように書いてあるし、本によって内容や意見が違う場合は、まだ不確実な問題であったり、より慎重に精査しなけれいばならないことだと判断できます。
そんな感じでやっていると、だんだん目新しい情報に出会わなくなってくる。それが止め時です。
まだ言ってる現象
目新しい情報がなくなると、いよいよある程度自分で考えて色々と行動できるようになります。
しかし、そこまでいって満足して情報収集を止めてはいけません。
確かに、やみくもにインプットするのは止めるのですが、本当に止めてしまうと世間から取り残されてしまいます。
そこで、「こいつ、まだ同じこと言ってんな!」
の登場です。
何年も同じことを言い続けているってことは、超重要、普遍的、揺るがない、真実に近い違いないと考えられます。
やはり、先駆者の意見は大切。ずっと情報発信している人の声には耳を傾けるべきだと思います。
しかも、「また言ってる現象」を通過している我々は、「まだ言っている」ことの中でも当たり外れをきちんと判別できるようにもなっている。一石二鳥です。
やみくもな情報収集も、飽きて腐って発酵して旨味が噴出するほど続けていれば、さすがにそこそこの「通」にはなっているんじゃないでしょうか。
ちょっと珍しい話でも、大概は誰かの焼き直しですよね。それに気づくためには、ある程度の期間続けるしかない。逆に、続けるだけで二流の通(ただの情報通)ぐらいなら簡単になれる。
まとめ
情報収集は、1周するまではやめないほうがいいと思います。
2周目からは強くてニューゲーム。とっても楽しいです。
情報に適量もクソもありませんよね。堀江貴文氏が言う「情報収集は砂金採り」というのは言い得て妙だと思います。