糸井重里さんが、「ゴールデンウィーク」なんて名称は今どきもうピンと来ないよね、的なことをおっしゃっておりましたが、その通りだと思います。むしろ大型連休でいいじゃないかと。
そして、いやらしくも、今日からマイ大型連休が始めることにしました。いわゆる遠出です。
公共の交通機関、および行楽施設の芋洗い状態を避けるためですね。毎日休みみたいな仕事をしているおかげです。ありがたや、ありがたや。テクノロジー、言ってしまえばインターネットの進歩と拡大には感謝してもしきれません。
こうして大多数の日本人とズレたサイクルで生活することは、ある種の優越感に浸らせてくれる効果がありますが、当然逆パターンもあり得ます。人は贅沢なものです。
暦通りで得することは何か?
暦通りに休むこと、あるいは有給とのコンビネーションで拡大して現実逃避すること。この2つにはある種のあこがれがありました。
なにしろ、私は半生において大型連休を大型連休として自発的に楽しんだことがないからです。
大学時分、大型連休といえばアルバイトに精を出していました。周囲の人間は帰省したり、行楽へ出かたりしてしまうため、暇だったのです。何をするにも人手は必要ですから。
孤独に何かに没頭する楽しさも知っているつもりですが、それこそ個人的な活動はいつでもできるわけで、だったら人手不足の波に乗ってアルバイトに精を出して「(使い勝手)いい人」に成り切ってしまったほうが、懐事情を鑑みてもメリット大であると考えていたのです。
学生を終えてサラリーマンとなってからも、属した業界が世間とサイクルがズレていたため、逆行癖は抜けず、「土日祝」という文字を多くの人々とは違う意味で眺めておりました。
自意識が芽生え、義務教育が終わってからというもの、私は暦通りの生活を送ることなく過ごしてきて、いったい「暦」になんの意味があるのかイマイチつかめないままここまで来てしまっているのです。
暦通りに暮らして得することっていったい何なの?
子ども、チルドレンとの共生
5月5日。
近所の公園で、子どもが1人で遊んでいるのを見ました。
「そういうことか」と思いました。義務教育に従事するチルドレンは自分で休日を操作することが出来ません。
だから、親が暦通りの人間でないと、うまいこと行楽施設に突撃できない。
独身貴族なら、休みをずらしていくらでも楽しめますが、家族単位ではそうもいかない。
家族単位の幸せを望むなら、暦通りは強力な武器になるのですね。
大型連休コンプレックスの解消法
連休開けの「どこ行った自慢」は聞かされるほうは地獄です。
あえて暦通りを避けるという選択をとった大人ならまだしも、逃げ場のない子どもは辛い。
何を変えればいいのかはわかりませんが、みんな好きなときに好きなように休めるようになればいいんだと思いました。
大型連休さえなければ、大型連休コンプレックスも生まれませんから。
6月半ばに勝手に5連休してディズニーランドに行っても白い目で見られない学校生活は素敵な気がします。梅雨だからうまくいかないかもしれませんが。
5月頭と9月中旬。過ごしやすい季節…行楽シーズンど真ん中。やっぱり暦通りの大型連休はうまいことできているのですね。
まとめ
ズラし大型連休から帰ってきたときに、コケが大幅に成長していたらうれしいです。