梅雨の梅雨らしさを感じているのか感じていないのかよくわからない。
毎年同じことを思っている気がします。
「偉人は27歳で死ぬ説」をうっすら意識していた頃までは、「月日が経つのは早いねえ」とか「今年は去年に比べて暑いねえ」「今年のプロ野球はどうだ」などという言い草に対し、「そんな悠長なことを言っている暇はないんだ!」といきり立っていました。
ですが、今は割合どうでも良いと感じています。
なんだ、「悟りが開けてるみたいで素敵じゃないの」と思いきや、そうでもありません。
「しかし」に対して、「ところが」状態。ややこしい気持ちが渦巻いているのです。
刹那的なものに対して冷ややかな目線を送ってしまうのです。変わらないもの(変わってるんだけど)に惹かれるようになると、すぐ変わるもの(むしろ変わってないんだけど)って何だか追求するのがバカバカしいような気持ちになります。
もっぱら筆頭株主は、若者の青春を描いた映画(邦画)とか、音楽です。全てのメッセージがくだらなく思えてしまいます。感受性が応答しなくなっているぞ。やばいぞ、という状況です。
挙句の果てに、人間社会の移り変わり、政治、経済の動向も疎ましくなってきます。特定の集落で繰り広げられる抗争など以ての外です。
そんな境地に至るにはまだまだ早いと思うので、ヤングなパワーを取り戻したいです。
コケに嬉しい梅雨を味わう
枯れかかっているコケを適当に集めてもしゃもしゃ密集させていたら少しずつ復活してきました。これで3週間ぐらい。
全面真っ黒だった訳ではありませんが、だいぶ育った状態でこれです。右下のハイゴケとか、最初はいなかったような気がします。
復活し始めてから写真を撮るのはいいのですが、第一歩からやるのはなかなか大変。とくに最初の1週間は拷問です。
萌え盛るハイゴケ
「萌える」という言葉は夢があって、芳醇で、なかなか美しいと思うのですが、今となって口に出すのもはばかられるものになってしまいました。悔しいです。
今日の午後はハイゴケを眺めている時間が30分ぐらいありました。実に贅沢です。