見事な収まりです。彼にはホールインワン賞を与えたいです。
ホールインワンをやってしまうと、パーティーを開催しないといけないから実は収支がマイナスになると聞いたことがあります。運が良すぎるのも考えものです。
さて、雑草の種はどこからやってくるのか。
風が運んだ、鳥が運んだ、人が運んだ。とにかく誰かに運んでもらうことで彼らは勢力を拡大しています。
いずれにせよ、人間がはっきり認識できることはありません。知らない間にどこからかやってきて、いつの間にか芽を出して成長していきます。
ちょうど落ち着いた所が栄養豊富な土であれば良いのですが、収まりが良いからといって変な穴や溝に着地してしまうと満足のいく結果にはなりません。
仮に肥沃な大地に辿り着いたとしても、そこにマンションやビルが建つとなれば人間に一掃されます。畑や田んぼだとしても同じことです。環境が良すぎるとかえって仇となります。
種はどこから来るのか、始まりはどこなのか
生き物は絶えず世代交代を繰り返していますが、自分自身が今何代目かというを理解している個体はこの世にいないでしょう。
徳川何代目、というのはあくまでも徳川の話であって、人間何代目かというのは謎です。人類はアフリカから始まったと聞いて、センスの良い人はケミカル・ブラザーズを思い出すかもしれません。
始まりは、出処はどこなのか、考えるのは楽しいですが、どこかに区切りを置かない限り、それは不毛な議論になってしまいます。人間の頭では手に負えないということです。
宇宙の端はどうなっているのか、という問いに対して、
「そもそも我々が観測出来ているところまでが宇宙であり、その先もあるにはあるのだろうけど観測出来てない以上なんとも言えない」
と返されるとみんなつまらないと思うでしょう。
ところが、宇宙の仕組みを解き明かすには、人間が普段感じている常識の範囲内で考えていたのではにっちもさっちもいきません。
地動説と天動説ぐらいなら、後から言われて納得出来るかもしれませんが、宇宙の話になるとちょっと勝手が違います。
始まりとか、端っことか、一旦忘れないといけないということです。
私がこのコケや雑草と真剣に向き合う上で、彼らがどこから来たとか、どこへ行くとかいちいち考えていたら何も進まないのです。
10年後の景気を良くするためには、社会保障をどうするか、という時に、そもそも経済の語源とは、価値交換とは何なのかを綺麗に説明したところであまり意味がないのと同じです。
目の前の生き物を愛でる
余程の天才ではない限り、目の前のことは目の前のこと、遠くのことは遠くのこととして分けて考えないといけません。
もしかしたら、一気に全てを包括する理論があるのかもしれません。
でも、人間はそれについていけません。だから、あっても意味ないんだと思います。