偉人、仙人、巨人達があるとき似たようなことを言い始める、というのはどんな業界でもあると思います。
誰が最初に言い出すのかはわかりませんが、お互いに呼応してちょっとした流れのようなものが生まれる。ブームです。
それが正しいのか間違っているのかを判断するのは素人には難しいですが、大半の人はブームに乗っかっていきます。
リテラシー云々、情報に流されて右往左往するのもどうか、など色々思いつつも、「これは正しい」と感じる時ってあると思います。そういうときはあまり深く考えないですっと流れに乗ってしまうのが良いんじゃないでしょうか。
一旦乗ったらしばらくは振り返らないのも大切だと思います。
ない頭で考えてもしょうがないというのは本当で、素人で、初心者で、本当に何もわからないうちから自分の狭い常識や浅い経験の中で判断するのはかなり無駄で効率の悪いことです。
歳をとると新しいことを吸収しづらくなる、などと言いますが、それは小学生のときから始まっています。たとえ子供でも自分の中に常識はあるからです。
「~ちゃんが言っていた」
「みんな持っているから買ってくれ」
とか、勝手に判断して大人を攻めてきます。流行に敏感であるというのはある意味こういうことと紙一重だと思います。
彼らに「もっと広い視野を持て」とか「その情報は確かなのか?」と問いただしたところでどうしようもありません。それこそ、成長を待つしかない。
本当に必要なのか、本当に正しいのかどうか、自分が変わらない限り一歩進んだ正しい判断は出来ません。
自分が仕事で携わったことがある分野らならば、世間で流れる噂とか、テレビや新聞、ネットで流れる情報を目にして、それがウソか本当か判断するのは容易です。
わかるってそんなものだと思います。意識して情報収集をしていようがいまいが、当たり前に判断できます。
情報が正しいかどうか判断できるようになるためには、情報を集めるだけではどうにもならないということです。
人の話をウンウン言いながら聞いている段階を飛び越えたときにふと気づくあの感じ、あれを超えないと多分ダメです。何かと。
寺門ジモンさんが焼き肉を食べて、それがどこの部分か当てる番組を見て、思ったことです。
武井壮さんの言葉を借りれば、寺門ジモンは「相当ヤッてる」んです。相当食ってる。だからわかる。調べた訳じゃない。
コケ写真の乱れ打ち
写真を撮るのはなかなかめんどくさいものです。習慣化しないと厳しい。
止まっているものを撮るのは楽しいのですが、外出先でサッとカメラを取り出して・・・というのは苦手です。人物写真などもってのほかです。
助っ人の馴染み具合
だいぶ板についてきたような気がします。もう彼らは我が家のものだと勝手に思っています。
こうしてアップで撮ると、これが我が家のベランダなのか、どっか外で撮ってきたのか区別がつきませんね。
生え抜き選手の本日
東側のベットタウンに点在する移民たちが育ってきています。西側は、井の頭公園エリアが少し伸びてきているようです。