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コケ日記109。ブログを続けるのはそんなに大したことではない

 2015/10/18      コケ日記

koke109

するりコケ日記109日目

変化なし。

色々やっていると流石にコケ日記になんか書くのはめんどくさくなってきます。写真を撮る関係で予約投稿も出来ない。それが辛い。

なんか書き溜めておけばいいんでしょうけど、そこまでする気力もまだありません。

逆に、その日一発、必ず何か書かなきゃいけないプレッシャーを自分に課していると思って何とかやっています。

記事のクオリティ云々はあまり考えていないのでネタ切れを起こす心配はほとんどないのですが、やる気になるかどうかは深刻な問題です。

外に出てバリバリ働いている人に比べると、私は相当ズボラで意識も超低空飛行なので、「やる気出ねーなー」と思いながらのらりくらりしていると、あっという間に時間は過ぎます。

1日1記事。1記事の基準はどこ

みんな性格が違うのでなんとも言えませんが、「1日1記事書く」というのは、記事タイトル「疲れた」本文が「やる気でない」で終わってもいいということです。

それを嫌がるから何にもできなくなる。自分で勝手にハードルを上げてもいいことはあまりないんじゃないでしょうか。

800文字は書こう、1000文字は書こう、でもなんでもいいんですけど、無理だったら止めたほうがいいと思います。それよりも、「あ」でも「う」でもいいから記事をアップしてしまえばいい。

意識低めで構わない

立派なことを言う人に限って、中身を伴っていないことがほとんどです。

好きだったら時間を見つけて、どんな状況でもやります。スーパーマーケットで、お母さんにくっついて歩きながら鬼の形相でニンテンドーDSをプレイする子どもを見ているとそんなことを思います。

彼らは、毎日DSをやろうなんて思っていません。やりたいときにやっている、そして、そのやりたいときがずっと続いているだけです。

やる理由をいちいち言葉にしている時点でそれは自分にとって怪しいもんだと思います。

きっちりやり続ける人は立派です。尊敬します。でも、無理して全員がそれにならなくてもいいのです。

最悪写真一枚でもいい

1日外に出掛けなきゃいけない時でも何とか1記事だけは書くようにしています。それは今のところできています。
それに、風邪でぐったりしていても1記事なんかやってる風に書くのは大した苦労じゃないだろう、とか思っています。

でも内心は最悪写真1枚撮ってコケ日記とだけ書いていればそれでいいだろうと思っています。別にやらなきゃいけないとは思っていません。

私にとって、とにかくあまり精神的な負担がないから出来ているだけのことです。これが1年2年とかになると流石にしんどいんだろうな、と思います。

しんどいことを無理してやる必要があるのか。途切れさせずに続けることと、中身を濃くすること、どっちが自分に大事かはいずれ決めるときがくるのだと思います。

まとめ

続ける秘訣を必死に調べるような分野のものは、そもそもあまり向いてないからやらない方がいいんじゃないでしょうか。

イチローは、野球は継続しているけど、それ以上にサボっているものがたくさんあるはずです。

成功者たちが、「やることよりも、何をやらないか決めろ」って言うのも納得出来ますね。