ちきりんさんに褒められました。本について記事書いたんですからそりゃあ無碍にも出来ないだろうというのは置いておいて、こんなこと生涯において2度とないと思うので、自慢しておきます。これはバズった、でいいんですよね?まだまだ?
これが巷で言われる「ちきりん砲」なのですね。バズというか、バズーカです。しかも効き目長えし。
『マーケット感覚を身につけよう』を中学生に勧めてくださってるブログ。とても文章が上手い → http://t.co/4kRYINzV30 言いたいことをちゃんと伝えつつ、読みやすく微笑ましくなる文章。あと、本からの引用文ゼロで書評を書くのって、とても高度なスキルなので。
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2015, 8月 13
とても文章が上手い
とてもですって。
あと、本からの引用文ゼロで書評を書くのって、とても高度なスキルなので。
聞きました?とても高度なスキルらしいですよ?
https://omomukibukai.com/market-chikirin/
ブログ始まって以来のアクセス大爆発でした。皆様のおかげです。今後ともよろしくお願い致します。
そして、ダメな一発屋にならないために振り返りを。書評について今まであまり深く考えていなかったのですが、良い機会を与えていただいたので、自分の考えをまとめました。
引用なしの書評は難しい?
書評って難しいですよね。とても。今回の「マーケット感覚を身につけよう」の記事は無意識の忘我状態でしたので、引用0なのは別に確信犯ではありません。指摘されて気づきました。
改めて考えてみたのですが、引用を上手く使うのもそれはそれで難しくないですか?
引用を使っても、どうせ自分の考えも後でまとめて書くんですよ?
おまけに、その本を買うような人は、引用文をあとで実際に読むんですよ?だったら楽しみはとって置いてあげたほうが良くない?
という考えもあるんじゃないかということを今、思いつきました。
ケチなスケベ根性が引用文化を蔓延らせる
「真剣に書こう」「この素晴らしい本を紹介しよう」と思えば思うほど、引用は避けられなくなっていきます。
「自分の勝手な意見を入れすぎてもどうなの」「読者はこの本の概要、要点を知りたいはず」とか思いますもんね。私も、Amazonのレビューを読むときについあらすじに目がいきますもの。
でもこれって、「あわよくば買わないで内容をサラッと知りたい」というスケベ根性の表れです。本屋の立ち読みはまだいいんです。立ってるから疲れるし、それなりに真剣になって頭に入ってきます。ですよね?違う?
たまにAmazonで書評ばかり読んでるときがあってハッとします。これはすごく勿体ない。いいから買っちまえよ。
引用して紹介すれば買ってくれるかも・・・と思いきや、引用好きなやつは結局買わないことが多いんなじゃないでしょうか。
音楽でいうと、YouTubeで済ましちゃうとか、アルバムを買わないで曲単位でサラッと聴いちゃうとか、そういう感じに近い気がします。
本は読んだら読んだことになってしまう
車の試乗とか、電化製品を実際に触るのは大切ですけど、本は文章が商品ですから、たとえ引用でも読んだら読んだことになってしまいます。
何回も読むからかまわない、という人もいるかもしれませんけど、1回読めばいいや、という人もいる。だったら何回も読む人に無理して1回を献上しなくてもいいんじゃないでしょうか。
まとめ
前日に書いた「マツコの知らない立ち食いそばの世界」がけっこうなアクセスを集め1日単位の記録を塗り替えて喜んでいたのですが、まさかそれが翌日に更新されるとは思いもしませんでした。しかも圧倒的大差。
とにかく、アクセスが爆発して嬉しかったです。やっぱり読んでくれる人がいるというのは励みになります。
ちきりんさん、読んでいただいた皆様、ありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。頑張ります。
それでは、今日の日はさようなら。