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コケの成長を眺めて暮らしています

コケ日記121。角を曲がったら、あの人は消えてしまう。人生は自分が主役の映画です。

 2015/10/30      コケ日記

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コケ日記121日目

大きな変化はありません。粛々と突き進んでいます。

ど真ん中のフロンティアが透明になって久しいですが、もうあまりそういうところに気をとられるのは辞めようと思っています。
そのうちまた復活するでしょう。

 

Twitterが凍結したので、異議申し立てをしましたが、却下されました。

私のTwitterへの情熱が足りなかったのでしょうか。おそらくそうでしょう。

何をした訳でもないのに、突然止まる。たったひとつの取引先に頼るのは危険とか、無料ブログは相手の都合で消されるから良くないとか、巷で言われるリスクというのは、こんな感じなのかなと思いました。

Twitterが凍結されると、私が普段Twitterで関わっていた人にとって、私はいない者となります。
凍結されていなくても、何もつぶやかず、誰にも絡まなければいないも同然です。
2日もすれば忘れ去られるでしょう。いや、もっと早いのかもしれません。

Twitterはあくまでもインターネット上の何かですが、インターネット上の何かの中では全てです。
相手から見ても、自分から見ても、そういうものだと知りました。

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人生は自分が主役の映画

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自分の人生が、自分が主役の映画だとしたら、一生で関わる人達は全て脇役です。

各シーンの撮影のために出てくる彼らは、別のシーンの間はこの世に存在しません。
街で会って、飯を食って、別れたらそれで一旦その人は消えてしまいます。

3年ぶりに会う友人が劇的に太っていたら、3年間、彼は必死に役作りのために食いまくっていたということ。

何か嫌がらせをしてくる人がいたら、その人は敵役を演じているということ。

やけに良くしてくれる人がいたら、その人は主人公をサポートする重要人物です。

私の大好きなコメディアンは、もし、夜の道路工事がコントだとしたら・・・ということを言っていましたが、それと同じ。実際問題、本当はどっちかなんて知りようがありません。

相手にとっても同じこと

これは、相手にとっても同じことが言える訳で、私は誰かの人生にとっての脇役です。

時々出てきて、すぐ消える。

消えたらいない。存在していないことと同じです。

つい、「ご存知の通り」という前提で話を進めてしまうものですが、相手にとってはそうではありません。

相手の人生に深く関わっていない期間は、自分はこの世にいないも同然。全く謎なのです。

同窓会で10年間何してました、今こうです、というあのじれったいやり取りも、しっかり通過しなければ相手にとってはチンプンカンプンです。言ったとしてもすぐに忘れられます。でもやらないといけない。

「私って、ご飯食べながらだとお酒飲めないタイプじゃないですかー」と言われても、「知るか!」とみんな思うやつと一緒です。

デカプランターの夜

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これは朝の写真です。ど真ん中のデカ草は、太陽の光を浴びるために思っきり開いていますね。

ところが昨夜、デカプランターのど真ん中のデカ草はこんな様子でした。
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彼らは夜、身を寄せ合っているのです。きっとこうした方が都合が良いのでしょう。何かと。

私が、デカプランターを朝しか見なければ、彼らのこんな一面は知らないままです。いつも同じ格好で葉を開いてるもんだと勝手に思い続けていたことでしょう。

まとめ

変な時間に電話をかけてきて、突然ガシガシ話してくるやつに会うと、いつも思うことです。